勝手気まま。 -2ページ目

甘えること、頼りにすること。

数年前の出来事なのだけれど、今日親友と話していたことが例えるとこの話と同じようなので、書いてみる。いまだに自分で明確な理解、が出来ていない話。

 

坂道をヒール靴で下っていて、あまりの足場の悪さに男友達が肩を貸してくれたことがあるのだけれど、わたしは必要以上に体重をかけたらいけないと思い、軽く肩に手を添えさせてもらっていて、そして怒られた。肩を貸している意味が無いじゃないかということ、らしい。

 

や、でもね、万一転びそうになったら、捕まらせてください、って肩を借りているのであって、杖代わりにずっと体重をかけていたらだめだと思っているのだけれど、わたし。わたしにとっては万一のために安心の保証をもらっているので、十分に肩を借りている意味があるし、何も支えや手をかける部分がなくて坂道でふらふら下ってゆくより、ずっと心強いところが、「肩を借りる」意味だと考えていたのだけれど……。どうも、その思考がおかしいみたいですよ?

 

それでは相手があなたに信用されていないと思ってしまうよ、と言われるのだけれど、わたしには肩を借りるという行為が信頼の証なので、いまいちピンとこないんだよな。たまには甘えなよ、とも言われるのだけれど、わたしには肩を借りる時点で十分に甘えさせてもらってるんだけどなあ……。だって甘えないで一人で解決する、っていうのなら、さっさとそんなヒール靴脱いじゃって、裸足で降りればいいもの。坂道を想定していなかったとはいえ、自分で外に出る格好として選んだわけだから、他人に一切甘えないで自力でなんとかする、というのならそれが正解だと思っているのだけれど、えっと極端すぎるますか……。

 

自分のことは、気を抜くと他人に甘えすぎる人間だと思っているから、なるべく自分を甘やかさないようにしたいのだけれど、微調整がうまくできない。0か100かのALL  or  Nothingのタイプみたいで、極論から極論に走るんだよなあ。今年の目標は『中庸』にしようかしら。

 

甘えることと甘えすぎること、頼りにすることと依存してしまうこと、境目って難しい。

最期の言葉占い。

友人がやっていたのでやってみた、「あなたが呟く最期の言葉」占い。周囲は皆、「今まで本当にありがとう」と感謝をして最期を迎えるらしい。友人が、「言葉自体にはあんまり面白いのがないなー」とコメントしてあった。

 

どれどれ。

……。

 

 

「お前らみんな死んじまえ!」だって……。

 

 

あんまり面白い言葉、無いなあ、って友人が言った傍からこれだし……。よりによってすごい今際の言葉だ……。

現場の人間関係。

正直寂しい。

 

昨日で今まで半年ちょっとお世話になった仕事のチームが解散になった。出向先の事情によるものだったので、去年の秋にはわかっていて覚悟していたことだったけれど、正直すごく寂しい。わずかしか一緒に仕事が出来なかったけれど、わたしが気持ちよく頑張って仕事できたのは、現場の先輩がたのおかげだった。感謝してもしても足りない。何一つ仕事面でお返しの出来ないまま、解散になったのがすごく悔しい。そしてやっぱり、また寂しい、というところに感情が戻ってしまう。

 

夜解散の飲み会に参加して、途中で帰ろうと思いつつ結局最後まで参加。感情を仕事に無意味に持ち込んだらいけないと思いつつ、やっぱり、先輩がたの居ない職場は詰まらないし、やりにくいと思ってしまう。飲み会の間中、そんなことを口にしてしまわないよう気をつけていたけれど、でもやっぱり寂しい、寂しいと連呼してしまったような。大反省。

 

実際のところ、自分が薄々気づいているものから、まったく預かり知らぬところまで、きっと裏ではいろんなことがあるのだろうし、実際に本当にいろいろあるのだろう、とは思う。でも現場の表舞台でそれは明らかにはされなかったし(少なくともわたしがこの現場に来てからは、という期間だけれど)、それはそれ、現場の空気は現場の空気、という分け方がちゃんとできている場所だった、とわたしは個人的に思っている。それぞれがべったりしすぎもせず、かといって距離をあけすぎたりすることもなく、自分のスタンスを守って仕事が出来た。そういう状態を保ち続けている役職付きのひとたちは、ものすごく苦労していたのだろうと思うと、いっそう感謝。

 

今日の午後からは新しいチーム。仕事の内容も、面子も、ルールもたぶんかなり違う。空気も違う。うまくやっていけるのかどうか、っていうのはチーム次第だし、同時に自分次第。そして自分が馴染めても馴染めなくても、次にやってくる人を迎え入れる体制をつくるうちの一員になるのは確か。自分は先輩方のようなことがちゃんと出来るのかしら。やれるだけのことを、ちゃんとやれますように。

磁場渦巻く我が家の謎

ただでさえ電化製品がよく壊れ、アンテナは問題ないのにすぐ携帯は圏外になり、だめだめなウチの部屋。

置時計が二月頭に止まってしまい、乾電池買わなくちゃーと思いつつ忘れてたのだけれど、昨日まで確かに間違いなく止まっていた時計が、昨日帰宅したら動いていた。 ……え?

しかもものすごい速さで動いていて、さっき見たときから5時間ちょっとしか経ってないのに、もう20時間くらい針が回っている始末……。

面白いので暫くこのままにして観察してみることに。しかしいったいどうなってるんだ我が家……。

参ったなあ。

知人に久しぶりにメールをしたら、普段テンションの高い惚気メールが返ってくるのに、なんだかとても元気が無かった。

 

元気? うん元気といったシンプルなやりとりのあと、知人から、

「わたし結婚できなくなっちゃった」

と追加でメールが来た。一回り年上の男性と来年結婚する、婚約した、と常にハイテンションで騒いでいたので、別れ話でも出たのかと思っていたら、

 

「彼ね、亡くなったの」

 

一気に自分も引っ張られる。やばい、ここで自分がしっかりしておかないと、と思ったのだけれど、聞けば聞くほど一緒に凹む。引きずられている場合じゃないのだけれど、やっぱり生死の問題は、力が強い。

 

ここ1,2ヶ月、知人が事故にあって記憶障害を起こしたり、これまた別な知人が突如記憶喪失になったり、友人が体調を崩して欝状態になっていたりとあんまり明るい話じゃないことが多い。で、そのたびに自分も一緒にゆらゆらする。こんなんじゃだめで、本当はわたしがしっかりしておかなくちゃいけないのに。一緒になってぐらぐらしてどうするんだ。わたしにできることは話を聞くことくらいなんだから、もっとちゃんと受け止められるようにならなくちゃいけないのに。こんな弱さは望むところじゃない。悔しい。チクショウ。

 

婚約者を亡くした知人とは、来週あたりちょっと一緒にご飯でも食べようか、という話に。

「きみの顔見て安心して泣きたいよー」

というメールが届いて遣り取りは終了。ああ、来週までに気合、入れなおさなくちゃ。