ネットジャンキー。 | 勝手気まま。

ネットジャンキー。

ネットワークをツールとして使うか、それとも生活ベースとしてしまうか、というあたりは人間関係に対する価値観によってやっぱり違うのかな。

 

便利さに溺れると、使いこなせていないことに気がつかないまま依存してしまう怖さがあるのがネットワーク。それからあくまでもツールとして利用しているひとと、依存が進んで生活ベースとして利用しているひととでは、あんまりにも距離感が違いすぎて、コミュニケーションがうまくいかない可能性も含んでいると思うのだけれど、世界は案外にそのへん無頓着に進んでいく(当たり前だ)。

 

メールが必ず相手に届き、そして届けば即座にレスポンスがある、と無条件に信じているひとに、何故すぐ返答をくれないのかと責められたことがあるひとって結構多そう。そんなに早急なものなら電話するのが確実性は高いんじゃないかしらと思うのだけれど、どうなんでしょ? 携帯電話の普及時に、

「相手が電話に出ない」

という不安感をより煽っていたのは記憶に新しいけれど、携帯やメールは相手と自分の距離感をより縮めてみせるだけ、かえって不安も高まりやすいみたい。うーん、いまさらな話?

 

でもって、インターネット上の情報を取捨選択する、という行為。これがどうも割合難しい。2chの有用性なんかでよく言われてるアレですな。自分で選択できる目を持たないとあの場所は危険だ、とかなんとか。果たして情報ソースとして100%の信頼性があるのかないのか、というところで、すでにたくさんのひとが躓いてしまう。きっとわたしもそのうちの一人なんだろうけど。

ウェブサイトやメールに書かれたことが100%真実かどうかなんて、相手の口から出た言葉がうそかまことか、っていうのと同じ話なんだと思うのだけれど、意外に文字という形をとると真実味が増すのかな。ひとを信じることは大切な人間の原点なんだろうけれど、かといって疑うということを知らないのも困りもの。


そんなネットワーク環境を取り巻く物語が、森博嗣氏の『奥様はネットワーカ』。

大学に勤務するスージィは、愛する旦那様へのメールを勤務中に書いてみたり、日記めいたメモをテキストにして保存してみたりと、学内のネットワークを大活用中。もちろんミステリですから当然そんな日常のなか、事件が起こるわけで。



著者: 森 博嗣
タイトル: 奥様はネットワーカ

学内ネットワークを駆使した事件の発生と、不可思議なモノローグ、登場人物ごとに視点をめまぐるしく変化させた、これまたネットワーク的視点の物語が軽快に進んで、独特のテンポで収束に向かう。ネットワークの利用の仕方が現代的、というか「現代のネットワークに対する意識」的、というか。各方面から上手にアクセスして必要なデータを見比べて、さて真実は何処でしょう。